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古来より商人達は、この世で最も勇敢な冒険家でもあった。利を求め臆する事無く広い世界を旅する彼らの情熱が、新たな海路を生み出し、険しい峠に道を切り開いた。彼らの足跡は東西南北、世界中のあらゆる地域に及び、珍しい文物やあらゆる情報をもたらしたのである。
しかし、未知なる世界に臆する事のない彼らも、決して近付こうとしない場所が幾つか在った。それは交通上の難所であったり、魔物が住まうとの伝承の残る地であって、その中でも取り分けて名高いのが『滅びの町シギュラ』『霧深き魂泣きの渚』、そして『往きて還えさざる地カダル・サナリ』である。
カダル・サナリとは、聖都バクートからはるか南、半島中央部に広がる沙漠の一部地域を示す名称である。生者には過酷な沙漠の地の中でもかの地が別格とされるのは、あまりにも劣悪すぎる環境ゆえだ。波打つように隆起する砂丘が果てなく続き、日中ともなれば体液が沸騰しそうなほどに苛烈な陽光を遮る為の影を落とす岩山さえも存在しない。旅人が喉を潤す為の水を沸き出でさせるオアシスもなく、僅かばかりの水さえあれば育つ筈の仙人掌などの多肉植物も姿がない。
旅なれた隊商であれば避けて通る死の沙漠であったが、時に危険を顧みず一攫千金を夢見て奥地を目指し足を踏み入れる無謀な山師の類が居らぬでもなかった。けれど彼らの殆どが再び人里へ戻ってくる事はなかったし、奇跡的に戻ってきた者があっても極限状態であった為かひどく衰弱し正気を失している事が多かった。
そう、まさにかの地こそは踏み込んだ者を『往きて還えさざる地』、そのものであったのである。
そんな、飛ぶ鳥ですら影を落とさぬカダル・サナリの地のほぼ中央。死者の骨を砕いて作ったかのごとき白い砂を敷き詰めた沙漠の中、影がひとつ在った。それは、遮る事のない苛烈な陽光に照らされ地に落ちた影よりも黒い装束に身を包んだ男の姿。風に吹かれさらさらと風紋を描く白砂の上、佇む黒衣の男はその背に燐光を帯びた黒い刃を持つ大刀をひと振り帯びていた。滅びそのものが化生したかのような静謐さを身に纏い、瞑目するかのごとく瞼を伏せたまま佇んでいたのだが。
「――――……」
無言のまま、カッと男の瞳が開かれ、砂を強く踏みしめる足が風紋を乱す。背に帯びた黒刀が引き抜かれ、虚空を切り裂く燐光の刃。背のマントが空に浮き、渦を巻く水流のごとき螺旋を描く。
永劫の静から一瞬の動。そして。
ざり、と。
砂の鳴る音がして、先ほどまで黒衣の男のほか無人であった砂上にひとつ影が落ちる。
「随分、物騒な挨拶だな―――鷹の目」
現れたのは、長い黒髪を持つ長身の男。細身だが鍛え上げられたその身を包むのは、瑠璃の色を思わせる深い藍色をした、この大陸に住む者ならばひと目でそれがアルメニア帝国軍将校の軍装であると見て取れたであろう。
鷹の目、と呼ばれた黒衣の男は肩越しに無感情な眼で軍服の男を見遣り、黒刀を背の鞘へと収めると、長いマントをゆるりと翻らせ振り返る。
「誰かと思えば…………貴様か。赤髪の片腕が出向くとは、おれに何用だ」
淡々と、闇の底から響いてくるかのような熱の篭らぬ低い声が問う。その声音同様に、見据える黄玉色の瞳は無機質で冷淡な光を宿している。まるで情などという物は端から持ち合わせてはおらぬとでもいうかのように。
だが、
「――――うちの大将から、あんたの“誓約”について伝言だ」
軍服の男の口より“誓約”という単語が出た途端、鷹の目の無表情な面が僅かに変わる。それはほんの些細な物ではあったが、身に纏う気は沙漠の夜の身を刺すような冷気にも似た、容赦のない苛烈さを含む物へと変わっていた。
しかし男は無言の威圧を宿す鷹の目の眼光を正面から受けながら、僅かばかりも動じはせず、平然と己が主よりの伝言を告げる。
「―――てめえの“誓約”の事はてめえでなんとかしろ。万が一にもおれの“誓約”の邪魔になると判断したら、てめえの“誓約”なんぞお構いなしで、おれはロロノア・ゾロを排除するぜ―――…………だそうだ」
「………………」
「シギュラの結界が解けたのを、あんたも気付いてはいるのだろう?」
「愚問だ」
短く、端的に返す。睨めつけるように向けられた眼光は、その背にある黒刀の切っ先よりもなお、鋭い。
「ベン・ベックマン……戻って貴様の飼主に伝えろ。――――我が誓約の始末はおれの手でつける、手出ししたら貴様だろうと殺す……と」
男からの伝言を告げると彼の主は愉快げに喉を震わせ笑った。
「ようやっとあのものぐさ大将が腰をあげるってか! こいつはこれから面白くなりそうだなあ」